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記事はセキュリティの事を考え、遅れての投稿ですので宜しくお願いします。

⑪功山寺、長府毛利邸

2022年4月4日~4月27日 山陰~山陽~紀伊

2022年4月12日(火) 9日目 功山寺、長府毛利邸

下関から広島への225kmの行程です
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昨晩のモバイルバッテリー残量35%、現在AC電源でPCを接続しています(車のサブバッテリーからも電気をとれますが私は基本Jackeryから充電してます)
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今日も過ごしやすい天気のようです
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山寺 ~長府毛利家の菩提寺、山口県下関市長府にある曹洞宗の寺
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日照の関係で周りの山々の紅葉に比べると色づきが遅く、11月下旬に一番の見頃
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山口県観光サイトより

鎌倉幕府が滅ぶ6年前、1327年に創建
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高杉晋作が挙兵した寺、境内にある馬上姿の銅像は僅か80名で藩に立ち向かった晋作
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仏殿 (国宝) ~鎌倉時代建立の代表的な木造の禅宗様建築で、典型的な唐様仏殿としては、我国最古の物
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長府毛利邸 ~明治36年(1903年)、長府毛利家14代当主の毛利元敏公によって建てられた邸宅
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壇ノ浦の戦いでは源氏が長府に本陣を置く
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毛利輝元の子・毛利秀元を初代藩主として、長州藩(萩藩)の支藩として立藩された長府藩
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武家屋敷造りの重厚な母屋からは、池泉回遊式庭園、書院庭園、枯山水庭園といった3つの庭園を望む事が出来ます
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当主の間
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毛利邸の塀だったかと・・。 凄いですね!
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長府毛利邸から東に続く土塀(練塀)が続く道が、古江小路(ふるえしょうじ)、北の横枕小路(よこまくらしょうじ)
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こんな感じの街並みが続きます。 ただ・・・同じような造りで迷ってしまいました
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長府庭園 ~長府毛利藩の家老格であった西運長(にしゆきなが)の屋敷跡
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小高い山を背にした約9,378坪の敷地
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廻遊式日本庭園で150本以上のモミジが園内を彩ります
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5月下旬から6月中旬の菖蒲に続き、6月中旬から8月下旬には睡蓮、秋には紅葉が色づき、冬には椿
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山口県観光サイトより

特に池の水面に映る鏡紅葉は圧巻だそうです
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山口県観光サイトより

この後は広島県の RVパーク豊平どんぐり村 に向かいます。 約200km強でしょうか

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⑩秋芳洞、秋吉台

2022年4月4日~4月27日 山陰~山陽~紀伊

2022年4月11日(月) 8日目後半 秋芳洞、秋吉台

秋芳洞は是非行ってみたいと思っていました。楽しみです
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秋芳洞 ~秋吉台国定公園の地下100mに位置し特別天然記念物に指定。洞内の総延長は10kmを超える国内最大級で観光コースは約1kmに及ぶ

高さ20m、幅8mの岩の裂け目が秋芳洞の入口
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棚田を思わせるような 百枚皿
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全ての内部写真は山口県観光サイトから

黄金柱
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傘づくし
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洞内富士
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大黒柱
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写真で見る以上に、秋芳洞は大きく圧倒されました。来て良かった!

残念なのは素人写真で暗闇での写真をミスってしまったことです。もっと秋芳洞の大きさを出したかった


秋吉台 ~山口県美祢市中・東部に広がる日本最大のカルスト台地
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北東方向に約16km、北西方向に約6km
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台地上の総面積54km2、石灰岩の分布(沖積面下の潜在部を含む)総面積93km2、台地面の標高180〜420m
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此処は展望台の位置が良く分からず、あっちへ行ったり こっちへ行ったりでした


道の駅 蛍街道西ノ市  お風呂に来ました
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下関市豊田町の県道下関長門線沿線に位置
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レストランもあり良い道の駅です
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壇ノ浦PA ~関門橋のたもとにある本州最後のパーキングエリア
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対岸に門司が見えますが、こんなに近くに見えるとは思いませんでした
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展望台は風が強く、ウィンドブレーカーを着なければならない程の寒さ
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壇ノ浦PA(下り)
2021年(令和3年)6月19日にリニューアルオープン、同年8月27日には新トイレ棟と屋上展望デッキがオープン
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ファミリーロッジ旅籠屋・壇之浦PA店
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大型トラックが仮眠の為に駐車しています。写真外の右手にも多くの大型トラックが停まっています2022041243.jpg

洗面も6器以上あり
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男性 大 10器・小 8器、女性 20器、身障者用 2器
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⑨松陰神社、吉田松陰歴史館

2022年4月4日~4月27日 山陰~山陽~紀伊

2022年4月11日(月) 8日目前半 松陰神社、吉田松陰歴史館


今日は是非行ってみたいと思っていた松下村塾、秋芳洞に行きます。トータル100km位なので楽な行程
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昨晩お世話になった仮眠地の道の駅阿武町、道の駅発祥の地と言われています。
日本海温泉「鹿島の湯」、温水プール、キャンプ場
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裏手海側にキャンプ場。RVパークも併設してあったのですが、気付きませんでした。失敗!
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こんな感じ
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洗面が4台、綺麗にしてあります
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男性用 小便器 6 大便器 3(うち和式 1)、女性用 両用器 7(うち和式 1)2022041104.jpg


松陰神社 ~明治維新の先覚者 吉田松陰を祀る神社

「松陰神社」と彫られた石柱の文字は松陰の書簡等から文字を抜き出したもので自筆、鳥居中央にある扁額の文字は、岸信介元首相により揮毫
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2022041209.jpg萩観光協会より

明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祭神とする神社。
現在の社殿は昭和30年(1955)に完成した。学問の神様として多くの受験生が訪れます
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吉田松陰 幽囚ノ旧宅
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萩観光協会より

松陰が謹慎生活を送った3畳半の幽囚室
松陰はここで孟子や武教全書などを講じ、次第に多くの若者が集まるようになり、のちに松下村塾での教育が始まりました2022041212.jpg

松下村塾
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幕末期に吉田松陰が主宰した私塾
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萩観光協会より
松下村塾と書かれています
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門下生には久坂玄瑞、吉田稔麿、高杉晋作などがいて、その後の近代日本の原動力となった数多くの逸材が輩出
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吉田松陰歴史館
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萩観光協会より

御前講義
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佐久間象山に入門 ~江戸末期の学者。初め朱子学を、のちに蘭学を修め、西欧の科学技術の摂取による国力の充実を主張したが、京都で攘夷派に暗殺された。門下に勝海舟・吉田松陰らがいます
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下田踏海 ~下田でペリー艦隊に密航したが当時の幕府と和親条約後の為に追い返される。その後に自首。松陰が松下村塾で教え始める2年前の出来事
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野山獄 ~松陰は仲間の囚人たちに孟子の講義をするとともに自らも俳諧や書を学び、獄吏でさえも廊下で松陰の講義に耳を傾けたといわれており

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涙松の別れ ~江戸送りの途中 涙松にて門下生と萩に別れの挨拶
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断罪の書 ~三奉行が列席し死罪の判決が言い渡される
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死罪を言い渡された後 斬首刑に処される、享年30(29歳没)
亡骸は桂小五郎 ( 木戸孝允 )、伊藤利助 ( 伊藤博文 )、飯田正伯、尾寺新之丞の4人に引き渡される
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8日目後半に続く

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⑧太鼓谷稲成神社、永明寺、森鴎外記念館、萩

2022年4月4日~4月27日 山陰~山陽~紀伊

2022年4月10日(日) 7日目 太鼓谷稲成神社、永明寺、森鴎外記念館、萩

今日は津和野から、家内が以前より行きたがっていた萩に行きます
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太鼓谷稲成神社 ~稲神社ではなく稲神社
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願望成就の「成」をとって「稲成」と表記
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安永2年(1773)、津和野七代藩主亀井矩貞が城の鎮護と領民の安穏を願って、城山の太鼓谷に京都伏見稲荷から斎き祀ったのが始まり
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津和野町にあり 日本五大稲荷のひとつ2022041009.jpg

参道には300mに渡り約1,000本の朱塗りの鳥居
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津和野城の鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に建てられました
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手前からでも鮮やかに浮かび上がって見えます
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覚王山 永明寺
津和野に戻ることはなかったけれど「森 林太郎として津和野で死にたい」という遺言があり、山門を過ぎた左手に「森林太郎」と彫られた森鴎外の墓があります
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歴代の津和野城主の菩提寺
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応永27年(1420)津和野城主 吉見氏五代頼弘が創建
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室町初期写の「絹本著色十六羅漢像図」、兆殿司(ちょうでんす)の涅槃像、初代亀井茲矩木像などがあります
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小さいけれど素敵な庭です
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背後の山を借景とした池泉回遊式庭園
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昼からは20℃位で過ごしやすいです
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森鴎外の旧宅
森家は、津和野藩代々の御典医の家柄、鴎外の本名は「林太郎」2022041022.jpg

鴎外は明治14年(1881)に東京大学医学部を 19 歳で卒業して陸軍軍医となる。明治 17 年から 4 年間ドイツに留学
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陸軍軍医総監(軍医の最高階級。のちに軍医中将と改称)、医務局長としての軍務と文学活動の矛盾に苦悩しながら独自の近代文学を創出した。
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萩城跡
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600本のソメイヨシノが咲き誇る桜の名所であり、花びらが純白色の珍しい桜「ミドリヨシノ」が1本あります
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ミドリヨシノは日本では萩でしか見ることのできない貴重な桜です
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今晩の仮眠場所 道の駅 阿武町 ~道の駅認定第一号、併設の 鹿島の湯ゆ
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道の駅と風呂の裏手に日本海の夕陽
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プロフィール

kimi735

Author:kimi735
名前:きみ
年齢:71才
ウェブサイトURL:http://www.keisei.info

一言:生まれも育ちも札幌すすきの
リタイア前からタイでのゴルフにはまり年2回から3回ほど訪タイ、リタイア後は年に2回トータル4ヶ月タイで過ごしてました。
コロナ禍 タイに行けず、キャンピングカーを購入し国内旅行を楽しんでいます


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