2022年4月4日~4月27日 山陰~山陽~紀伊
2022年4月11日(月) 8日目前半 松陰神社、吉田松陰歴史館
今日は是非行ってみたいと思っていた松下村塾、秋芳洞に行きます。トータル100km位なので楽な行程
昨晩お世話になった仮眠地の道の駅阿武町、道の駅発祥の地と言われています。
日本海温泉「鹿島の湯」、温水プール、キャンプ場
裏手海側にキャンプ場。RVパークも併設してあったのですが、気付きませんでした。失敗!
こんな感じ
洗面が4台、綺麗にしてあります
男性用 小便器 6 大便器 3(うち和式 1)、女性用 両用器 7(うち和式 1)

松陰神社 ~明治維新の先覚者 吉田松陰を祀る神社
「松陰神社」と彫られた石柱の文字は松陰の書簡等から文字を抜き出したもので自筆、鳥居中央にある扁額の文字は、岸信介元首相により揮毫

萩観光協会より
明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祭神とする神社。
現在の社殿は昭和30年(1955)に完成した。学問の神様として多くの受験生が訪れます
吉田松陰 幽囚ノ旧宅
萩観光協会より
松陰が謹慎生活を送った3畳半の幽囚室。
松陰はここで孟子や武教全書などを講じ、次第に多くの若者が集まるようになり、のちに松下村塾での教育が始まりました

松下村塾
幕末期に吉田松陰が主宰した私塾
萩観光協会より
松下村塾と書かれています
門下生には久坂玄瑞、吉田稔麿、高杉晋作などがいて、その後の近代日本の原動力となった数多くの逸材が輩出
吉田松陰歴史館
萩観光協会より
御前講義
佐久間象山に入門 ~江戸末期の学者。初め朱子学を、のちに蘭学を修め、西欧の科学技術の摂取による国力の充実を主張したが、京都で攘夷派に暗殺された。門下に勝海舟・吉田松陰らがいます
下田踏海 ~下田でペリー艦隊に密航したが当時の幕府と和親条約後の為に追い返される。その後に自首。松陰が松下村塾で教え始める2年前の出来事
野山獄 ~松陰は仲間の囚人たちに孟子の講義をするとともに自らも俳諧や書を学び、獄吏でさえも廊下で松陰の講義に耳を傾けたといわれており
涙松の別れ ~江戸送りの途中 涙松にて門下生と萩に別れの挨拶
断罪の書 ~三奉行が列席し死罪の判決が言い渡される
死罪を言い渡された後 斬首刑に処される、享年30(29歳没)
亡骸は桂小五郎 ( 木戸孝允 )、伊藤利助 ( 伊藤博文 )、飯田正伯、尾寺新之丞の4人に引き渡される
8日目後半に続く
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